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お経と言うには詩的過ぎる!?
たとえば水の中にいて 渇を叫ぶがごとくなり

皆さん、こんばんは!

寒くなってきましたが、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか?

私は世の中が少し落ち着いてきたのもあり、何とか実家の法要に参加することができました。

普段、海抜0m付近のところに住んでて、実家だと海抜450m付近まで上がるものだから、あまりに寒くて身体がビックリしてましたね。

今回は法要に参加していて気になったことがあったので、ひとつ記事にさせて頂きました。

   

日本は基本的に宗教の自由を認めていますが、多くのご家庭は仏壇があり、ご先祖は仏式で奉っているのではないでしょうか?

私の実家も例に漏れず、子供のころは食事の前に仏壇の前で般若心経を唱えていました(その頃はかなり覚えていたのですが…)。

今回気になったのは、法要でお坊さん(ウチの地方では“おっさん”と呼びます)が唱えていったお経です。

衆生本来仏なり  水と氷のごとくにて

水を離れて氷なく  衆生の外に仏なし

衆生近きを不知(しらず)して  遠く求むるはかなさよ

譬(たとへ)ば水の中に居て  渇を叫ぶがごとくなり

長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず

さすがに現代文ではないので読みにくいですが、それでもかなり口語調で分かりやすいと感じるのではないでしょうか?

これは座禅和算(ざぜんわさん)もしくは白隠禅師坐禅和讃(はくいんぜんじざぜんわさん)という名前で、臨済宗の一部宗派でよく唱えられるそうです。

詳しくはWikipediaにて。現代語訳はこちら

恐らく、法事などある度に耳には入っていたのでしょうが、なぜか記憶には残らず来ていたみたいです(汗

   

ちなみに親戚など、宗派が違う家の法要に参加すると、まったく知らないお経があったり、基本の般若心経でもリズム感が全然違ったりで興味深いです。

母の実家の方の法要で「南無阿弥陀仏」をひたすら唱え続ける、というのも覚えています。リズムも独特で、

「な~むあみだ~ぶつ な~むあみだ~ な~むあみだ~~ぶつ な~むあみだ~↓」

って感じで、記憶に残りやすいです。

   

宗派の違いって歴史的に見るとキナ臭い部分もありますが、ある側面では「お経がうまいお坊さんはスターだった」というところもあるようなので、他とは一線を画するようなお経を考え出した白隠和尚などは、言わばお江戸のロックスターだったのかもしれませんね。

   

以前の記事では哲学にハマってる的なことを書いていますが、こういったことも興味深いですね。

私が以前通っていた大学はキリスト教系なので聖書に関する講義もありましたが、その頃は興味が向かなくて聞き流してしまっていたのが悔やまれます。

時間は戻りませんので、日々色んなことに興味を持って生きていきたいです。

ではでは!

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